【エッセイコンテスト受賞作品】ミライ部門:樋口恭介賞―『「引退の美学」を壊して,知の継承をつくる』
G’s10周年企画
こわそう、つくろう、ジブンを、セカイを。エッセイコンテスト
ミライ部門:樋口恭介賞
審査員コメント
樋口 恭介さん
僕は今年で36歳になる。中年で、ヘテロ男性で、社会的立場があり、家族がいる。要するに、権力勾配を意識しなければすぐに裸の王様になりうる人間ということだ。だからこのエッセイは、僭越ながら当事者として読んだ。
現代はしばしば、倫理的で公共的な人間ほど口をつぐみ、反倫理的で反公共的な人間ほど大きな声で話し続け、結果的に善なる言説が継承されず、陳腐な悪ばかりが跋扈する時代と言われる。
自分で自分がそのどちらに属する人間なのかを判断することは困難だが、本作を読みながら、あるいはその困難を引き受けつつ、善なるものを試行して話すこと、ためらいながら決断することの倫理を信じること、それこそが真に公共的な意味なのではないかと思い至った。
非常に現代的なエッセイで、新たな公共の可能性に開かれた、本コンテストのコンセプトにある意味最も合致した、広く問われるべき良い作品だと感じ、これを推す。
『「引退の美学」を壊して,知の継承をつくる』井端一雅
「65歳をすぎたら、若い人に道を譲るべきだ」
私は、長らくそう考えてきました。年金生活に入り、常勤の仕事からも離れた今、懇意にしている大学教授の伝手で、某大学の就職ガイダンス講座の講師を担当しているのですが、講義でも、自分の経験を語ることは避けてきました。
「もうおじいちゃんですし、昭和平成の手柄話を聞いてもあまり参考になりませんから…」
と前置きし、講義は一般論に徹するようにしてきました。若者が主役であるべきだという思いから、自分を封印してきました。
それは、ある種の美学といわれるものかもしれません。「引き際をわきまえること」、「過去を押し付けないこと」、「語らないことで場を若者に譲ること」。私はそれを「成熟」と信じていました。
しかし心の奥には、実は言葉にならないもやもやが、ありました。常勤を離れた後も、顧問としてそれなりの報酬を得ていたのですが、70歳を前にしてその額を減らすという連絡を受けていました。年金だけでは暮らせず、家のローンも残っています。現実的な不安が、静かに胸の奥に蓄積していました。
それでも私は、「若者に任せるべきだ」、「自分はもう語る立場ではない」と言い聞かせてきました。語らないことが、潔さであり、成熟だと信じていたのです。
そんな折、懇意にしている先輩と久しぶりに話す機会がありました。私より十歳年上の彼は、「人生100年時代。生涯現役ですよ」と笑いながら、若い起業家や士業の方々に向けて、銀行との付き合い方について指導しておられました。銀行の融資畑で長年働いてこられた方で、在職中は中小企業の社長の恨みを買うことばかりしてきたそうです。だからこそ、「今は罪滅ぼしの意味も込めて、中小企業の味方をしたい」と語っておられました。ちなみに彼の学部時代の卒論のテーマは、「義理と人情」だったそうです。その話を聞いたとき、私は思わず笑ってしまいました。しかし彼の指導には、まさに「義理と人情」が通っていました。知識だけでなく、情を伴った語りが、若い挑戦者たちの心に届いていたのです。その姿に、私は胸を突かれました。語ることは、必ずしも過去を誇ることだけではありません。語ることは、過去を差し出すことなのだと。そしてその差し出し方には、品格も、責任も、希望も宿るのだと。
私はそのとき、ようやく自分の中にあった葛藤の正体に気付きました。語りたいのに、語ってはいけないと遠慮していたこと。動きたいのに、動いてはいけないと自制していたこと。しかし本当は、語ることで誰かの道が開けるならば、それは「恩返し」になるのだと。そして自ら動くことで、自分自身の人生も、もう一度開けるのだと。
私にも、もうひとつの顔があります。30歳から副業として続けてきた、無線雑誌の契約筆者としての執筆活動です。インターネット時代を迎える以前から、文献調査をもとにした技術史論的なエッセイや解説記事を書いてきました。経験のない分野でも、資料を読み込み、インタビューを重ね、読み応えのある文章に仕上げる力には自信があります。
この力を、これからは前面に出していこうと考えています。若い起業家や技術者に向けて、技術史や産業の背景を文章で伝えていきます。過去の知見を伝えることは単なる情報提供ではなく、時代の文脈を読み解く力、技術の意味を問い直す視点を提供することを意味します。この活動は、未来への挑戦の土台づくりの支援につながるに違いありません。そしてそれは「自分もこの流れの一部にいるのだ」と感じられるような物語を届ける活動にほかならないのです。
私は「引退の美学」を壊します。それは、過去を否定することではありません。むしろ、過去を生かすために壊すのです。語ることは、若者の活躍の場を奪うことではありません。語ることで、彼らの挑戦に光を添えることができるなら、それは新しい関係性の始まりになります。
これから私は、文筆を通じて社会に恩返しをしていきます。静かに、しかし確かに。「こわす」ことは、私にとって「つくる」ことの始まりなのです。そしてこれは、70歳を目前に、生涯現役を決意した私にしかできないことなのです。
もちろん、文筆を通じて社会に恩返しをするといっても、理想だけでは続けられません。現実には、生活の基盤を支える収入も必要です。
私はこれまで、無線雑誌の契約筆者として、技術史や産業の背景を掘り下げる記事を継続的に執筆してきました。今後はこの経験を生かし、若い起業家や技術者に向けた技術史コラムや産業解説の連載企画を、専門誌や業界メディアに提案していく予定です。企業の創業物語や製品開発の歴史を掘り起こす仕事にも可能性を感じています。これは、ブランディングや採用広報にもつながる分野であり、私の筆力を生かせる領域です。
こうした活動を通じて、私は「知の継承」を単なる趣味や使命感にとどめず、社会的価値として評価される仕事へと育てていきたいと考えています。
それは、過去の知見を未来の挑戦に接続する、静かな起業といえるかもしれません。