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【エッセイコンテスト受賞作品】リアル部門:最優秀賞―『光の向こうに見えたもの』

G’s10周年企画
こわそう、つくろう、ジブンを、セカイを。エッセイコンテスト
リアル部門:最優秀賞

審査員コメント

和田彩花さん

和田 彩花さん

淡々と冷静に綴られていく一変した人生の話。軽やかな表現で示される言葉と情景の数々に魅了されました。しかし、綴られているのは、きっと読んでいるだけでは想像することすらできていないだろう大きな出来事と、その後の孤独と社会との壁について。諦めなかった日々を通して紡がれる力強い言葉と物語、しっかりと受け止めたいです。

樋口恭介さん

樋口 恭介さん

どんなに絶望的な状況であっても、あるいは一般にはディスアドバンテージととらえられるような要素をかかえていたとしても、希望を捨てず、よりよく生きようということを必死で考え続け、試行錯誤を続ければ、明るい未来は見えてくる――と、このようにまとめてしまえば陳腐な紋切り型になってしまい、誰の心も打たないどころか読者を白けさせてしまうということは明白であるが、そうしたリスクとつねに隣合わせでありつつも、ギリギリのところで読者の感動を呼び起こすところに着地する、というような、困難なアクロバットを文章によって成し遂げるのが優れたエッセイの特性である。
単なるお涙頂戴にとどまらず、希望を読者に伝えきるという難しい橋を渡りきった作品となっているという点において、「つくろう、こわそう、ジブンを、セカイを」というテーマが冠されたコンテストのグランプリにふさわしいものであると考え、これを推す。

『光の向こうに見えたもの』Ryo

19 歳になり、社会人として歩み始めた一人息子。
母子家庭の暮らしも、これから少しずつ楽になるかもしれない、そんな希望を抱いていた8年前、 交通事故によって息子は重度の身体障がいを負い、寝たきりとなった。
家族の暮らしは一変し、私の人生も大きく方向を変えた。

1 年半の入院を経て自宅に戻れたものの、待っていたのは社会から切り離されたような孤独な毎日。
私の前には、二つの高い「心の壁」が立ちはだかっていた。

「外に出ても傷つくだけ」と、他人の視線を恐れる心。
「障がい者だから仕方ない」と、自ら未来を諦めてしまう心。
外出はリハビリや通院だけ。誰とも会わない、会いたくたい。
家に閉じこもる生活が続いた。

退院してから 2 年ほどが経った頃。
私は同じような境遇の人たちのインスタをよく見るようになった。
その中に、重度の障がいを負った夫を介護する妻がいた。

辛い現実のはずなのに、彼女はいつも笑顔だった。
明るく、夫との介護の日常を写真や動画で発信していた。

「私も、またこんなふうに心から笑えるようになりたい」
「このまま人生を諦めて、ただ生きているだけでいいのか」
そう思った瞬間、まずは私自身が変わらなければならないと気づいた。
よし、一歩踏み出してみよう。

私は、息子とともに日常を映した動画を投稿しようと決めた。

けれど現実には勇気が必要だった。
息子には事故による言語障がいもあり、言葉は聞き取りにくい。
身体の麻痺も重く、動きはゆっくりで、不自由さが人目にさらされる。
そんな姿を動画にして世に出すのは、正直とても怖かった。
否定され、笑われるのではと不安でいっぱいだった。

動画を 1 本載せ、思いを綴る。

ただそれだけなのに手が震えた。
やっと完成しても、「投稿」ボタンを押すまでに 1 ヶ月ほどかかった。
指を伸ばしては引っ込める。
そのわずかな動きは、大きな挑戦に思えた。


ある夜、震える指でついに「投稿」を押した。
長く縛っていた恐怖を、自分の手でこわした。

画面の向こうから返ってきたのは、思いがけない応援と共感だった。
その声に触れるたびに、私の心の壁は崩れていった。

日常の投稿が少しづつ増えてきた 1 年後の 2022 年、私たちはライブ配信に挑戦し、
リアルタイムで人々と関わる喜びを知った。
やがて息子は夢を語った。「モデルになりたい」と。

未来を失ったはずの息子が、未来を信じた瞬間だった。
その言葉は、私の中に残っていた最後の壁を打ち砕いた。
「社会に出るなんて無理だ」そう諦めていたのは、私の方だった。

夢を語り、未来を描けることがどれほど奇跡的か。
私は気づいた。
それは、恐怖や諦めの壁をこわして初めて手にできるものなのだと。

「夢を語る息子の姿」は、私にとって世界に光が差す感動だった。

それからの私は、目の前にあるもの全てがありがたく、尊く見えた。
その感覚は次第に、私の生き方を変えていった。

生き直そうと必死にもがく息子を見て、確信していた。
「この命には意味がある。この子の命は未来に必要なんだ」と。

私の行動は、母の愛から使命へと変わった。
この子の未来を守り抜く。
恐怖や諦めを共にこわし、つくり直すことができたのは、ここまで二人三脚で歩み続けてきたからだ。

彼は今、車椅子モデルとしてランウェイを歩いてる。
外の世界は、恐れていたより広く優しく、私たちを受け入れてくれた。
昨日できなかったことができる、その一歩を共に喜びあえる日々。

「障がいがあるから仕方ない」ではなく「障がいがあるからこそ生まれる価値」があると
気づかせてくれる世界。
彼と共に歩める今が、私にとっての希望でもある。

この思いを、私たちだけのものにしたくない。
障がいの有無に関わらず、誰もが夢や目標を持ち、その一歩を共に讃えあえる。
学校では、多様な学び方が尊重され、それぞれの小さな達成が拍手で迎えられる。
職場では、不自由さが欠点ではなく、新しい工夫や強みとして受け入れられる。
「できない」で終わるのではなく「できる」を見つけ、それを価値として認め合える。

そんな世界をつくりたい。

車椅子で活動する姿は「できない」や「かわいそう」という視線をこわす挑戦でもある。
障がいは不自由を伴うが、それは「弱さ」ではなく「新しい価値の種」だ。

息子の生きる姿を伝え、障がいについて知らせることで、多くの人々に気づいてもらえるはずだ。
そこにある努力や喜び、勇気や希望を。

その気づきが広がれば、世界の見え方はきっと変わると信じている。

これが、恐怖や諦めをこわした先にみえた、私の景色だ。

ステージに立つ彼を見て、観客はきっとこう思うだろう。

人は誰もが、輝く価値を持って生まれ、生きているのだと。

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