【エッセイコンテスト受賞作品】リアル部門:樋口恭介賞―『全細胞で創る、愛おしい世界』
G’s10周年企画
こわそう、つくろう、ジブンを、セカイを。エッセイコンテスト
リアル部門:樋口恭介賞
審査員コメント
樋口 恭介さん
優れたエッセイには、徹底的に私的であることと、そしてそれが文芸表現という技術をもって第三者によって追体験可能となり、それによって公共性を帯びる、という二つの条件がある。そして本作にはそれがあった。
むろん、ここで描かれている希望の経験は、医学的には疑問が付されるものであり、そうした意味では危険な結末であるという留意は必要であるが、一方で、科学的には妥当とは言えないものであっても、優れた作文技術によって書かれてしまえば、読者はそれによって心が打たれ、心が動かされ、科学とは異なる仕方で納得が得られてしまう。そのような、言葉や物語の力が持つ恐ろしい側面も含めて世に問うことで、多くの人々に当事者として考える機会が与えられることには一定の価値があるはずである、という願いも込めて、本作を推したいと考えた。
『全細胞で創る、愛おしい世界』直
ちょうど一年前、私は「この人生を終わらせたい」と心底願っていました。
長年使い続けた薬を手放した時、手に握っていたのは絶望のチケットでした。
幼い頃からアトピー性皮膚炎と診断され、炎症が起こるたびにランクの違うステロイドを塗布してきました。良くなっては悪化する繰り返しの中で、薬は私にとって当たり前の、体の一部になっていました。特に顔にまで症状が出るようになってからは、薬は日常を安定させるための絶対的な道具だったのです。
そんなある日、いつものように病院へ行きました。
「肌はどうですか」「いいと思います」「同じものを出しておきますね」
ルーティンのような医者とのやりとり。その瞬間、プツンと何かが切れたのです。私の症状の経過をろくに見ようともせず、私の言葉をなぞっただけの処方箋。「医者に病気は治せない」なぜか、この日、これを心の底から感じ
ました。
この絶望こそが、私を何の準備もないまま「脱ステロイド」へ踏み切らせたのです。それは、これまでの自分と世界との関わりを壊す行為でした。
長年の依存を断ち切ったその先は、本当に暗黒でした。
全身が赤く腫れ上がり、皮膚は破れ、浸出液が出ては乾き、はがれる。目が開かず、身体は突っ張って動かせない。死に至る病ではないはずのアトピーに、何度も死にたいと思わされました。横たわって天井を見ながら、「誰か私を殺してください」と泣いた日もあります。
それでも心のどこかで、「生かされている」とも感じていました。ひどい状態でも、薬をやめてから、少しずつ良くなっていると、心がどこか楽になっている感覚もあったのです。
どれだけ私は自分の感情や身体の反応を抑えこんできたのだろう。
その事実に気付き、子供の頃からの自分を振り返り、ひとつひとつ心の傷を癒す時間にもなりました。
驚いたのは、これまでステロイドを塗ってこなかった足までひどく荒れた事。
薬の影響は、塗った部位だけでなく、全身に及んでいたのです。
皮膚は毎日まるで盛り塩のように大量にはがれ落ちていきましたが、肉体は消えません。その生命力に神秘を感じました。
代謝を助けるために、肉•魚•卵..タンパク質をたくさん摂りました。「口に入れたものが形を変えて、吸収され、私になる。」当たり前だけど、すごいことだと、身体の仕組みに感動しました。
母が送ってくれたビワの葉エキスを傷口に塗りながら、母とビワと地球に感謝しました。私の生活は地球の恵みに助けられていると、改めて知りました。
顔はボロボロで人に会いたくなかったし、全身に痛みがあったけれど、運動が必要だと信じ、毎日歩きました。見える部分の肌が良くなっても、足の傷はなかなか治りが悪く、割れる皮膚の痛みに顔が歪む日もありました。
そこで私は気付かされました。
私の足がこんな風になっているとは誰も知らない。人は皆、他人に見えないところに傷があるのかもしれない。
そう思ったら、すれ違うひとたちを思いやれるようになったのです。
肌は一日単位では変わっているように思えなくても、数ヶ月単位でみると確実に違います。水に触れるのもつらくて、ビニール手袋をして入浴していた私が、今では躊躇なく手を洗える。痛みもなく歩けて、人の目を見て話が出来ることが嬉しい。「当たり前」を壊したことで、身近にあったたくさんの宝物に気付けたのです。生きていること、べてに感謝し、人を大切にできるようになりました。
私は現在、セラピストとして人を癒す仕事をしています。どん底を味わったからこそ、心から、人も仕事も愛せるようになった。一瞬一瞬が愛おしいです。
目の前の人を癒すことで、その人の心に余裕が生まれる。その余裕は隣の誰かに優しさとして波及していく。
「優しさが循環する世界」それこそが私の創りたい世界です。
人間は生きながらに生まれ変わっている。人間の持つ治癒力は本当にすごい。
あの日、薬を手放してくれた私、ありがとう。
全細胞が作り替えられた未来の私より、強く、感謝を込めて。