【エッセイコンテスト受賞作品】リアル部門:和田彩花賞―『バリアブレイクから生まれるつながり』
G’s10周年企画
こわそう、つくろう、ジブンを、セカイを。エッセイコンテスト
リアル部門:和田彩花賞
審査員コメント
和田 彩花さん
「聞こえないことで周囲とのつながりがなくなるのはもったいない。交流を通して楽しい時間を共有したい」冒頭に綴られた一文に驚きました。そして、こんなにも力強い言葉をサラッと書いてしまえるまっこさんの行動力もやはり凄まじいものでした。周囲とのつながり、楽しい時間を作るために何ができるのか、音を聞くことのできる私こそ、考えを壊し、作り直さなければいけないと感じました。素晴らしい経験をこうしてエッセイにまとめて、伝えてくれてありがとうございます。
『バリアブレイクから生まれるつながり』まっこ
私は聴覚障害があり、生まれつき音声がまったく聞こえない。私の世界にはいつも“目には見えない壁”が立ちはだかっている。とりわけスポーツや地域活動の場では情報が伝わらずに置き去りになることも少なくない。話し合いの輪の中に入れず、内容が把握できない まま取り残される。普通学校に通っていた私は中高生時代の文化祭などで心から楽しむことができなかった。孤立感と虚無感が胸に広がる一方で、『聞こえないことで周囲とのつながりがなくなるのはもったいない。交流を通して楽しい時間を共有したい』という思いが、いつも心の奥でくすぶっていた。
ある日、ふと思った。(社会人になるとスポーツする機会もあまりないな。学生時代、思うようにコミュニケーションが取れずバレーボールをやめた悔しさは今も胸の奥に残っている。私はまだ諦めたくない)と。だが、身近に参加しやすい場がなかなか見つからな い。ならば自分で場をつくろう――そう決め、私はサークルを立ち上げた。募集で集まったのは当然ながら聞こえる人々で会話の際には不便が残ることもあったが、「壁を壊す第一歩」が始まったのだ。
私の挑戦はバリアブレイク(壁を壊すこと)だった。「聴覚障害があると地域でのサークル運営は難しいのでは」と思われがちな空気を壊したかったのだ。
設立当初は緊張の連続だった。集まった人々が「え?聞こえないこの人が運営者なの?」と戸惑う表情を見せたり、ルール説明がうまく伝わらないこともあった。そういったときにはホワイトボードに文字を書いて意思を伝えていった。実際にボールを追いかけ始めると、少しずつ自然に一緒にプレーできるようになった。
やがて私は思った。「社会との壁をそのままにしておくのではなく、楽しみながら壁を壊してみよう」と。そこで取り入れたのが【5分間手話タイム】である。挨拶、数字、プレー時に使える手話を毎回紹介していった。
「ナイス!」「ドンマイ!」「ラッキー!」「仕方ないね!」「もう1本!」
私が伝えた手話を、コートの上で仲間たちが同時に手を動かして表現してくれた。その景色を見たときは胸が熱くなった。手話は聴覚障害者の特別なものではなく、誰もが使える共通の合図になり得るのだと実感した。
もちろん順風満帆ではなかった。「どうやってコミュニケーションを取ればいいの?」と戸惑う人や障害への理解が追いつかず距離を置く人もいた。それでも続けていくうちにメンバーは少しずつ増え、反応も変わっていった。そこには障害の有無を超えた「一緒に 楽しむ」空気が広がっていた。さらに私は練習日や連絡事項を共有するグループLINEで【聴覚障害豆知識コラム】を始めた。例えば「マスクをしていると口の動きが読めず会話が難しくなる」「プレー中は音声を文字に変換するアプリが使えず状況が把握できないこと も多い」「気付いた範囲で状況を伝えてもらえると嬉しい」など、日常の困難や工夫を紹介した。コラムはリレー形式になり、聞こえる仲間たちも聴覚障害者とプレーする中で気づいたことや学んだことを発信するようになった。コラムは累計約70弾にのぼり、読んだ メンバーから「知らなかった」「意識が変わった」と声が届くたびに理解の輪が広がっていくのを感じた。現在サークルメンバーは400名に増え、毎月20回ほどのレベル別セッションが開催できるまでになった。
やがて私は地域全体にもっと手話や聴覚障害理解を広げたいと考え、【手話しゅわストリート】というマルシェイベントを企画した。聴覚障害者や手話学習者が運営する飲食や雑貨のブースに加え、手話体験コーナーやワークショップを盛り込み、誰もが気軽に手話 に触れられる場をつくった。出店者募集や資金集めなどの準備は大変だったが、「身近で楽しみながら手話に触れられる」「子どもも覚えたがって楽しみにしている」という声をいただき、苦労は吹き飛んだ。
当日は約600名が来場し、会場のあちこちで手話の花が咲き会場全体を彩っていた。参加者の方々が覚えたばかりの「ありがとう」が両手で次々に交わされる光景は、壁を壊せば壊すほど人のつながりは豊かになることを証明していた。
こうして私は「偏見」「固定観念」「孤立感」という見えない壁を次々とバリアブレイクし、新しいコミュニティを築いてきた。そこから得られたのは仲間、理解、希望、そして未来につながる人脈だった。壊すことは失うことではなく、新しい価値を生み出す始まりだった。
社会には教育、就労、医療、家庭など日常のささいな場面にも壁がある。その一つひとつを超えるたびに新しい景色が広がると信じている。バリアブレイクは一人の声ではなく、仲間と共につくる未来のプロセスだ。
これまでに創り上げてきたつながりを生かして活動を続け、いつか小さなバリアブレイクが大きな波となり、社会全体に広がっていくことを夢見ている。
私の挑戦は、その未来を切り拓くために続いていく。